興福寺貫首

旅の途中

旅の途中                                          多川 俊映
自然も人間もみなすべて旅人 誕生も卒業も、事業の完成も定年も そして死もまた、旅の途中の一コマ 一年程前に出かけた知人のシャンソンのコンサート その中で 私たちはみな旅の途中ですと語られていた。 私の頭の中は森の中をさまようようなイメージ 辛い事も嬉しい事も旅の一コマなんだなあ~と実感 したものです。 そして 辛いといって立ち止まったり留まっては いられないと言い聞かせました。 人生は旅です。 私たちは旅人、旅の途中 時々、思い出して旅人を演じています

雨の日は雨を愛さう

 
雨の日は雨を愛さう           多川俊英
雨の日は雨を愛さう 風の日は風を愛さう 晴れた日は散歩をしよう 貧しくば心に富まう       堀口大學「自らに」より 昨日、頻繁にテレビに出ていたアイドルが自殺をした。 明るく装っていた彼女からは自殺という行為は かけ離れていただけに驚いた。 お母様が亡くなられて、気持ちが調整できなく なったのか・・・真相はわからないけれど 雨の日も、風の日も、晴れの日も 人生にはあり そのまま受け止めていくしかないのです。 風の勝手な動きを反対に楽しみ 雨の憂鬱さを本でも読みながら楽しみ 人生ってその時その時を視点を変えながら 乗り越えたり、楽しむことが 上手く生きることではないかと感じます

お静かに

お静かに          多川俊英       心に響く99の言葉の中より

とても素敵な日本語が知らず知らず風化してしまい 短縮したり 逆に読んだりと娘との会話がスムースに進まない。 嘆かわしいことです。

さて、「お静かに」とは人を送り出すときの心優しい言葉 気をつけてお帰りくださいの意味を持つ 仏教語の静慮に由来 静慮は禅とも言われるそうで心を散乱させないこと 心が乱れて思いがけない事態を引き起こさないように注意して お帰りくださいがこのお静かの意味 世の中、変化は必要ではあるが こんな素敵な優しい日本語は 伝え続けて使いたいものです。 我が家では静かに!は日頃 頻繁に飛び交う言葉 こんな優雅な意味合いで使いたいものです

不覚到君家

覚えず 君が家に至る 水を渡り、復、水を渡り、 花を看、還、花を看る。 春風、江上の路。 覚えず、君が家に至る。 週刊ダイヤモンドの東洋の風韻に連載されていた興福寺 貫首 多川 俊映さんの 心に響く言葉です。 友達に用事があるから会う、用事がないから会わないのは 本当の友だろうか。漢詩はふらふらと散歩をしていたら 友達の家についたという内容の14世紀の詩人の高啓の作品 この詩を読んだ時、もうかれこれ10年前  所長と所長の先輩のやりとりを思い出した。 学生の頃 やんちゃな学生だった先輩、 社会人になってもそんな雰囲気をもった面白い方で  事務所にも時々顔を出してくれた。 しかし突如、癌に侵され入院したとの連絡を受けた。 それから、仕事の合間、休日の日には足しげく先輩の 病院に見舞いに行っていたようだ。 本を買って行ったり、時間を持て余しているだろうと カセットテープに音楽を入れてお見舞いに・・・ 無くなる1ヶ月程前 先輩からの電話を私が受けた。 〇〇のカセットテープが欲しいんだ、伝えといてね!と。  その本心はカセットテープが欲しいのではなく 会いたい・・・ と言っているように私は感じた。その後、病床で戦う先輩に 痛いところはないかと背中をさすってあげながら辛そうな 先輩との時間を過ごしたと後で聞いた。 心優しいとか、親切だとか情が厚いなんてことではない。 会いたいから、お見舞いをしたいから、会って元気に なってほしいから・・・ 飾らない心からの思いは本当の友なんだと この時感じた。 この漢詩を見つけたときに何だか こんな感じかなあ~と 気がつき、ホッとうれしかった。