不覚到君家

覚えず 君が家に至る 水を渡り、復、水を渡り、 花を看、還、花を看る。 春風、江上の路。 覚えず、君が家に至る。 週刊ダイヤモンドの東洋の風韻に連載されていた興福寺 貫首 多川 俊映さんの 心に響く言葉です。 友達に用事があるから会う、用事がないから会わないのは 本当の友だろうか。漢詩はふらふらと散歩をしていたら 友達の家についたという内容の14世紀の詩人の高啓の作品 この詩を読んだ時、もうかれこれ10年前  所長と所長の先輩のやりとりを思い出した。 学生の頃 やんちゃな学生だった先輩、 社会人になってもそんな雰囲気をもった面白い方で  事務所にも時々顔を出してくれた。 しかし突如、癌に侵され入院したとの連絡を受けた。 それから、仕事の合間、休日の日には足しげく先輩の 病院に見舞いに行っていたようだ。 本を買って行ったり、時間を持て余しているだろうと カセットテープに音楽を入れてお見舞いに・・・ 無くなる1ヶ月程前 先輩からの電話を私が受けた。 〇〇のカセットテープが欲しいんだ、伝えといてね!と。  その本心はカセットテープが欲しいのではなく 会いたい・・・ と言っているように私は感じた。その後、病床で戦う先輩に 痛いところはないかと背中をさすってあげながら辛そうな 先輩との時間を過ごしたと後で聞いた。 心優しいとか、親切だとか情が厚いなんてことではない。 会いたいから、お見舞いをしたいから、会って元気に なってほしいから・・・ 飾らない心からの思いは本当の友なんだと この時感じた。 この漢詩を見つけたときに何だか こんな感じかなあ~と 気がつき、ホッとうれしかった。